ぺんぺん草日記 hasumi.exblog.jp

久野はすみの短歌と日記


by hasumi-kuno
プロフィールを見る
画像一覧

短歌の超短編

短歌の超短編という企画に応募しました。
石川美南さんの短歌から発想して500文字以内の超短編を書くというもの。
http://inkfish.txt-nifty.com/diary/2015/09/post-071d.html

入賞できませんでしたが
初めて書いた小説らしきものなので、記念にここに。
調子に乗って三つも書いてしまいました。

********

■美術館館長Tが遺したる小さな鍵についての話/石川美南

春の庭

 最後にTが私のもとを訪れてから、もう十五年経つ。肌の艶はやや衰えたが、Tが愛したなめらかな曲線は昔のままだ。実直さだけが取り柄のTは小さな美術館に勤め、やがて館長になった。実際は倉庫番のようなものだったが。
 鍵穴からわずかな風が吹き込み、首すじを冷やす。あの庭の薔薇も枯れている頃だろう。あれは最後の春、Tは美術館の庭に椅子を置き、咲き誇る白薔薇の前に私を立たせた。私はひかりの中でほがらかに唄った。芝生では小さな男の子が跳ねるように拍子をとっていた。あれはまことに幸せな春だった。今夜はあの子の利発そうな目を思い出しながら眠ろう。
 カチッと尖った音がして目が覚めた。鍵が開いたのだ。蛍光灯の光に埃がきらきらと輝く。青年は私をやさしく抱き起こし、確かめるように撫でた。しなやかな指が首すじに触れ、私はあの春の庭を思いだす。
 チェリストの青年はチェロをケースに戻すと、職員に深く頭を下げた。
「ありがとうございました。これで祖父の鍵の謎が解けました」
「十五年ものあいだ倉庫にあったのに、誰も気付かなかったのが不思議です。御祖父様は、なぜ楽器を隠していたのでしょう」
「さあ…」
青年は利発そうな目を細めて微笑んだ。

********

■美術館館長Tが遺したる小さな鍵についての話/石川美南

白薔薇の前で

 私は百五十年生きている。最後にTが訪れてもう五年経つが、Tが愛した肌の艶も、なめらかな曲線も昔のままだ。実直さだけが取り柄のTは小さな美術館の館長だった。Tに家庭があるのは知っていた。いつかは終わりがくることも。
 鍵穴から夜半の風が吹き込み、首すじを冷やす。Tが植えた薔薇も枯れている頃だろう。毎年、五月に妻と子どもは田舎へ行く。Tは庭に椅子を置き、芳しい白薔薇の前で私を抱いた。Tは一度も愛していると言わなかったが、私は知っていた。首すじをすべる指、激しい鼓動、眉間の皺。思い出すと申し訳ない気持ちになる。私はTを一度も愛したことがなかったのに。
 カチッと尖った音がして目が覚めた。鍵が開いたのだ。窓からの陽に埃がきらきらと輝く。若者は私を抱き起こして、確かめるように体を撫でた。力強い指が首すじを圧し、私は思わず声をあげる。
「売っていただけますか」
チェリストの若者は私をケースに戻すと、目を輝かせてそう言った。
「ええ」
年老いた女が頷く。この女に私の価値など判るはずがない。家にある絵がすべて偽物だということにも気付いていないのだから。
 私は百五十年生きてきた。いとしい人に抱かれ、綺麗な声で唄うために。

********

■午前二時のロビーに集ふ六人の五人に影が無かつた話/石川美南

回転ドア

 死が近づくと人の顔は変わるものだなあ。僕は五十歳になったばかりとは思えないほど老けた妻と、やけに若々しい彼女の同級生たちを見比べていた。
 妻の舌に潰瘍ができたのは二カ月ほど前。買ってきたオレンジをわたすと、悲しい顔で「食べられないの」と言った。一週間後にはハーゲンダッツが食べられなくなり、淹れたてのコーヒーが飲めなくなった。
 妻が懐かしい友人たちに会いたいと言うので、僕は賛成した。「一緒に行ってくれる?」と妻は僕の目をまっすぐ見て言った。僕は、反対しなかった。
 四十代にしか見えないキヨコさん。ほっそりしたタカコさん。少女のようなユキコさん。みんなは懐石料理を堪能し、妻は茶碗蒸しをよく冷ましてゆっくり食べた。ホテルのバーで軽く飲み、ロビーのソファでまた話し込む。日付が変わる頃、回転ドアが動いて、ふっくらした中年の女の人が現れた。一番の親友のチカちゃんが駆けつけてくれたのだ。
 近況報告が一段落すると、チカちゃんがすっと立ち上がった。
「ごめんね。わたし、戻らなくちゃ」
彼女の足元からのびた淡い影が、みるみる濃くなっていく。
 午前二時、僕たちは回転ドアに吸い込まれてゆくチカちゃんに、「またね」と手を振った。

********
[PR]
by hasumi-kuno | 2015-11-19 00:03 | 短歌 | Comments(0)