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久野はすみの短歌と日記


by hasumi-kuno
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土佐赤岡絵金祭り

土佐赤岡絵金祭りに行ってきました。
http://ekingura.com/modules/ekin3/index.php?id=3

絵金とは
江戸時代末期、土佐藩の御用絵師でありながら
贋作疑惑により追放され
10年の放浪ののち、赤岡の町絵師となり
芝居絵屏風を残した、弘瀬金蔵のこと。

まず、絵金蔵(絵金のミュージアム)をひととおり見学(複製展示)。
酒蔵をアトリエにしていたという絵金。
大男だったそうな。
17時から、絵金蔵のむかいの弁天座で絵金歌舞伎を観る。
毎年祭りの日に、絵金が屏風に描いた演目を上演しているという。
今年は「浄瑠璃式三番叟」「葛の葉子別れ」「義経千本桜 道行の段」。
廻り舞台あり、すっぽんあり。
弁天座の立派さに驚き、地元歌舞伎の楽しさを満喫した。
素人目(耳)にも、義太夫がことにすばらしかった。

芝居が終わって、通りへ。
商店街の軒先に飾られた芝居絵(本物です)の前にろうそくの火がゆれる。
カッと見開いた目、苦悩の表情、血の赤に魅了される。

現代のアーティストによる屏風絵の「えくらべ」も楽しく。
(ビー玉で投票するのです)

ジグザグに提灯がつるされた赤岡の通りはたいそう風情がありました。
たとえば、道頓堀あたりで道ならぬ恋におちたふたりが
ひっそりと暮らしていそうな。

「土佐赤岡絵金心中」とか(わ、殺してしもた)

雑貨屋さんを見ていたら
ばらばらと、アンティークボタンがこぼれる音。
「あ~あ、まけたねえ(ばらまいちゃったね)」
浴衣のおねえさんの、土佐なまり。

もう祭りも終わるというころ、
高知のライターさん&カメラマンさんと遭遇。
本当はお酒でも飲んでゆっくり一泊したかったけれど。

とん平焼き(からしがきいて美味)を焼いてたおばちゃんたち
浴衣のお嬢さんたち
かわいい子役たち(とくに脚絆がぬげちゃったおちびさん)
雑貨屋の(坊主頭に葉っぱをのせた)キュートなおんちゃん。

みんなみんなありがとう。
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by hasumi-kuno | 2012-07-25 01:40 | 日記
憧れてやまない歌人、大辻隆弘さんの第二歌集『ルーノ』を読む。
収められているのは1989年~1992年までの歌。

・目覚めよ、と呼ぶこゑありて目ざむればまだ手つかずの朝が来てゐる

・樹々たちの言葉のやうに八月のひかりしたたれ、ひかりはことば

・滅びゆく鼻濁音「が」のやさしさを聞いてゐる夜、君とゐること

・風はしる八月、父に抱かれてはじめて言葉となりしわが声

冒頭の一連「夏のかけら」より。
目覚めるとは言葉をもつこと。歌人として世界と対峙すること。
畏れつつ、ひかりを求めてやまない心情が繊細に詠われている。

・炎昼のひとかげあらぬ交差路を猫 an sich (即自的猫)歩みゆきけり

哲学はわからないけれど、即自的存在の悠然とした歩み、
そしてドイツ語をさしこんだしらべの心地よさが好きだ。

・ふるさとを去らぬは持たぬことに似て九月 素水をつらぬくひかり
  (ルビ 素水=さみづ)

何度もこころの中で反芻してしまう一首。
余計な力がなく、言挙げがすっと立っている。

・凍るやうな薄い瞼をとぢて聴く ジュビア、ジュビア、寒い舌をお出し

ジュビアは雨。残酷でうつくしい相聞のにおい。
初めて目にしたとき、意味もわからずどきどきしたものだ。
しかし私自身が変化したのだろう、今回は次のような歌により惹かれた。

・目の見えぬ少女のために色彩を楽にたぐへて告げし人あり

・つきかげは細部にも射し陶片の青磁のいろの夜半のはなびら

・昧爽の寒くしづめる青のいろを妻は見きといふ、われは見ざるに

そしてもっとも心を揺さぶられたのは歌集の最後、
生まれたばかりのお子さんを詠ったものだ。

・ひとの世のことばをもたぬ子の口に霜降り肉の舌はほの見ゆ

・かなしみの初めのやうな溜め息を聞きぬ 子の辺にねむる夜明けに

・夜の蝉が咒と啼く闇へ、ふたひらの薄き耳もつ子を連れてゆく 
  (蝉は正字、ルビ 咒=じゆ)

息は声となり、声はやがて言葉となる。
生まれたばかりの子の耳はもう咒を聞いているのだ。

かつて父に抱かれて言葉を得た、追想の夏と、
まだ言葉をもたぬわが子を抱いてゆく闇。
そこに歌人の覚醒と、それゆえの哀しみを感じたのである。

(※お名前の辻は一点しんにょうです)
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by hasumi-kuno | 2012-07-25 01:38 | 歌集