2012年 07月 25日
大辻隆弘歌集『ルーノ』(砂子屋書房・1993)
憧れてやまない歌人、大辻隆弘さんの第二歌集『ルーノ』を読む。
収められているのは1989年~1992年までの歌。
・目覚めよ、と呼ぶこゑありて目ざむればまだ手つかずの朝が来てゐる
・樹々たちの言葉のやうに八月のひかりしたたれ、ひかりはことば
・滅びゆく鼻濁音「が」のやさしさを聞いてゐる夜、君とゐること
・風はしる八月、父に抱かれてはじめて言葉となりしわが声
冒頭の一連「夏のかけら」より。
目覚めるとは言葉をもつこと。歌人として世界と対峙すること。
畏れつつ、ひかりを求めてやまない心情が繊細に詠われている。
・炎昼のひとかげあらぬ交差路を猫 an sich (即自的猫)歩みゆきけり
哲学はわからないけれど、即自的存在の悠然とした歩み、
そしてドイツ語をさしこんだしらべの心地よさが好きだ。
・ふるさとを去らぬは持たぬことに似て九月 素水をつらぬくひかり
(ルビ 素水=さみづ)
何度もこころの中で反芻してしまう一首。
余計な力がなく、言挙げがすっと立っている。
・凍るやうな薄い瞼をとぢて聴く ジュビア、ジュビア、寒い舌をお出し
ジュビアは雨。残酷でうつくしい相聞のにおい。
初めて目にしたとき、意味もわからずどきどきしたものだ。
しかし私自身が変化したのだろう、今回は次のような歌により惹かれた。
・目の見えぬ少女のために色彩を楽にたぐへて告げし人あり
・つきかげは細部にも射し陶片の青磁のいろの夜半のはなびら
・昧爽の寒くしづめる青のいろを妻は見きといふ、われは見ざるに
そしてもっとも心を揺さぶられたのは歌集の最後、
生まれたばかりのお子さんを詠ったものだ。
・ひとの世のことばをもたぬ子の口に霜降り肉の舌はほの見ゆ
・かなしみの初めのやうな溜め息を聞きぬ 子の辺にねむる夜明けに
・夜の蝉が咒と啼く闇へ、ふたひらの薄き耳もつ子を連れてゆく
(蝉は正字、ルビ 咒=じゆ)
息は声となり、声はやがて言葉となる。
生まれたばかりの子の耳はもう咒を聞いているのだ。
かつて父に抱かれて言葉を得た、追想の夏と、
まだ言葉をもたぬわが子を抱いてゆく闇。
そこに歌人の覚醒と、それゆえの哀しみを感じたのである。
(※お名前の辻は一点しんにょうです)
収められているのは1989年~1992年までの歌。
・目覚めよ、と呼ぶこゑありて目ざむればまだ手つかずの朝が来てゐる
・樹々たちの言葉のやうに八月のひかりしたたれ、ひかりはことば
・滅びゆく鼻濁音「が」のやさしさを聞いてゐる夜、君とゐること
・風はしる八月、父に抱かれてはじめて言葉となりしわが声
冒頭の一連「夏のかけら」より。
目覚めるとは言葉をもつこと。歌人として世界と対峙すること。
畏れつつ、ひかりを求めてやまない心情が繊細に詠われている。
・炎昼のひとかげあらぬ交差路を猫 an sich (即自的猫)歩みゆきけり
哲学はわからないけれど、即自的存在の悠然とした歩み、
そしてドイツ語をさしこんだしらべの心地よさが好きだ。
・ふるさとを去らぬは持たぬことに似て九月 素水をつらぬくひかり
(ルビ 素水=さみづ)
何度もこころの中で反芻してしまう一首。
余計な力がなく、言挙げがすっと立っている。
・凍るやうな薄い瞼をとぢて聴く ジュビア、ジュビア、寒い舌をお出し
ジュビアは雨。残酷でうつくしい相聞のにおい。
初めて目にしたとき、意味もわからずどきどきしたものだ。
しかし私自身が変化したのだろう、今回は次のような歌により惹かれた。
・目の見えぬ少女のために色彩を楽にたぐへて告げし人あり
・つきかげは細部にも射し陶片の青磁のいろの夜半のはなびら
・昧爽の寒くしづめる青のいろを妻は見きといふ、われは見ざるに
そしてもっとも心を揺さぶられたのは歌集の最後、
生まれたばかりのお子さんを詠ったものだ。
・ひとの世のことばをもたぬ子の口に霜降り肉の舌はほの見ゆ
・かなしみの初めのやうな溜め息を聞きぬ 子の辺にねむる夜明けに
・夜の蝉が咒と啼く闇へ、ふたひらの薄き耳もつ子を連れてゆく
(蝉は正字、ルビ 咒=じゆ)
息は声となり、声はやがて言葉となる。
生まれたばかりの子の耳はもう咒を聞いているのだ。
かつて父に抱かれて言葉を得た、追想の夏と、
まだ言葉をもたぬわが子を抱いてゆく闇。
そこに歌人の覚醒と、それゆえの哀しみを感じたのである。
(※お名前の辻は一点しんにょうです)
by hasumi-kuno
| 2012-07-25 01:38
| 歌集